私がキノコを嫌いな理由をあげようって言うどうでもいい記事
キノコ(茸、菌、蕈、Mushroom)とは、特定の菌類(Fungi)のうちで、比較的大型の(しばしば突起した)子実体(Fruiting body)あるいは、担子器果そのものをいう俗称である[1]。植物とは明確に異なる。ここでいう「大型」に明確な基準はないが、肉眼で確認できる程度の大きさのものをキノコという場合が多い。食用、精神作用用にもされるが毒性を持つ種もある。Wikipedia内『キノコ』より引用。
私はキノコが嫌いである。
だがしかし、この記事は決してキノコ好きを否定しているわけではなく、あくまで、私の中のキノコについての考え方を論じているものであることを理解していただきたい。
この後の文章で、キノコ好きの方々には理解し難い内容、見解があるかもしれない。キノコ好きの方々を怒りへと誘ってしまうかもしれない。
それを了承出来る方のみスクロールして頂きたく思う。
まず、始まりに載せたWikipediaの引用である。これを載せるにあたっては、キノコとインターネットで検索する必要があった。これがどんなに勇気のいる行為だったのか、
「キノコ食べれるよ〜」
という人には分かっていだだけるはずも無い。
もし、間違って「画像」を押しでもしたら、私は30分は立ち直れない。(実際に押してしまった。結果立ち直るのに35分を要した。)
Wikipediaを開いたのはいいものの、Wikipediaにも画像があった。コレは盲点。嫌いなものが写っているスマホ画面を触ることは脳が拒否しているのではないかという位に難しい。
私にも普通の子同様キノコを美味しく頂いていた時期があった。
何故、こんなにもキノコが嫌いになってしまったのか。
それは、5歳の誕生日。
私はそれまで、えのき、しめじ、しいたけ、まいたけ、沢山のキノコを食べていたと母は言う。そして、その誕生日からぱったりと食べなくなったのだ、と。
今でも鮮明に思い出すことが出来る。5歳の私は母が料理をしているのが見たくて、キッチンへと足を運んだ。私はまだ身長が低く、母がまな板で食べ物を切っているのを下から見上げるような形になっていた。
その時切られていたのが、しいたけだった。
しいたけは為す術もなく、母に切られていた。
そして見えたのがキノコのひだ。
幼い私は、それまで調理済みのキノコ、しかも私の口に合わせて小さくカットされたキノコしか目にすることがなかった。
そんな私にとって、それは裏切りであった。
今まで何の疑いもなく口に運んできたキノコ。そいつらの正体がこんな姿だったとは。
無限とも思えるほどのひだ。ひだ。ひだ。
あのひだを見てトラウマにならない方がおかしいと声を大にして私は言いたい。この記事を読んでいるキノコ好きがいたら、「キノコ ひだ」で検索することをおすすめする。無論、私はしたことは無い。
何はともあれ、私がキノコを嫌いになった初めての理由はフォルムにあった。
しかしながら不思議なことに、1度嫌いになるとその対象物の全てが嫌いになってしまう。
今、キノコの嫌いな所を挙げろと言われたら、それはフォルムだけではない。強いて1個挙げるなら
存在
である。
存在そのものが私にとっては罪。形、食感、色、匂い、肌触り、そして、生息環境に至るまで私はキノコを嫌っている。
よくテレビで「嫌いな〇〇克服レシピ!!!」的なものをやっているのを見かけるが、あれは拷問である。いいではないか。食べられないものの1つや2つがあったとしても。粉々にしたらわからないだろうと安易な考えで、嫌いなものをハンバーグやら何やらに混入させるのはやめていただきたい。わかるものは分かる。もし、わからない人がいたならばそれは、その人が心の底からは対象物を嫌っていなかった証拠であると私は思う。
だが、悔しいことにキノコは様々な場面で広く使われている。ダシもでるでる。日本食の命とも言えるダシはキノコと切っても切れない関係性なのだ。
どうしてこんな厄介なシロモノを嫌いになってしまったのか。悔やんでも悔やみきれない。
キノコ。それは色からしてキノコである。
外食をしていて期せずしてキノコが混入していた時、無言でかつスピーディーにキノコを寄せるのであるが、食べた後のキノコの汚さと言ったら、言葉では表せないものがある。
逆のひいき目で見ているとはいえ、人参やピーマン、グリーンピースなどが残っている皿の可愛らしさと比べたら、誰にでもその汚さは分かるはずだ。
食べれもしない、残しても汚いキノコ。
それを私にどうしろというのか。
むしろ、私なんかの皿に間違って入れられてしまったキノコに同情心すら芽生える。
いや、やはり芽生えない。
ともかく私の見解ではキノコは人類、いや、全生物が口に運ぶべきものでは無い。あいつを食べ物と認めるわけにはいかない。
もしもボックスでキノコを食べなければ生きていけないという世界に変わったとしたら、一番先に死ぬのは自分と同士だろう。
そんな世界に生まれなかっただけ、マシというものか。
ああ、キノコよ。お前はどうして存在するのか。
キノコが憎い。
さて、まだまだキノコに対して言いたいことは沢山あるのだが、2300文字を超えてしまったので、そろそろお開きとする。
この記事は私がキノコを嫌いな理由をサラっと説明したものであったが、同意してくれる人がいたら、こんなに嬉しいとこはない。
そして私は明日もキノコ嫌いを背負って生きていくのである。
ではまた( ̄^ ̄)ゞ