たのゆーは明日から

今日も元気にいってみよう!

うちの妹はすごい。

こんにちは、たのゆーです。

ここ最近、

妹の凄さ

を目の当たりにする事が多く、
その事を皆さんに紹介したいという所存です。


私の家は、両親、姉、私、妹、祖父の一般的な6人家族で、姉は家を離れ、今は仙台で働いています。



今日紹介する妹は、まだ十代の学生なのですが、最近の妹の凄さは目を見張るものがあるので、記事にしたいと思います。





1.凄まじく平均体型。

全国女性平均身長・平均体重の158.3cm・53kg、中の中の容姿そのすべてを網羅している我が妹。

そして妹は自分が世間一般にいう「普通」だということを理解している。

自己評価を中の上とし、自分を平均以上と信じる人も多いなか、冷静に自分を分析するその後ろ姿も平均。


まさに
the best of average woman
なのです。

二度見するほどの美人でもなければ目をそらすほどのブスでもない一緒に暮らすにはもってこいの顔。

ひとつ言うとすれば少し肌が白いという点だが、
それに関しても、妹が秋田県在住で秋田県が全国的に見て日射時間がとても少ないことを考慮すれば当たり前の結果と言える。






2.服がすべてモノクロ。

10代といえば、ファッションに興味が出てきて色々と冒険をするのもだという私の考えは、あろう事か実の妹によって完全否定されてしまった。

妹のクローゼットの中は凄まじいほど色がない。

強いていえばクローゼットの中の収納ボックスが水色だと言うくらいで、
それを除けば白、黒、若しくは灰色。

いっつも似たような服だと指摘しても、
今日はオフホワイトだだの今日はアイボリーだの
意味のわからないことを口走って全く色物を着ようとしない。

若者がフレッシュな色を着なくてどうする
どうせ着られるのは今のうちなんだからピンクやら黄色やらパステルカラーを着なくてどうする



何故、我が妹はいつ誰が亡くなってもそのまま葬式に行けるような黒のスカートしか履かないのか。

何故、妹がカレーを食べる度にその白いニットにカレーがつかないかとハラハラしながら見なければいけないのか。

この前、服を買ってやると一緒に買い物に出かけても、黒を買うの一点張り。

もう少し色のついたものを買うといいんじゃないかと言っても、
それなら買わなくてもいいときた。

いつか妹が色物を身につける日は来るのだろうか。

妹の隣に立つと自分が凄くオシャレに見える。
隣を歩かせるにはもってこいだ。




3.歌の曲名あてが得意。

これは得意とかいう領域を超えている。

何故なら私が出す曲名当てクイズは
スペシャルハードモードだから。


私の特性として、曲を覚えられないというものがある。


曲名、歌手、歌詞、メロディ、その全てがわからない歌を、私のその曲へのイメージだけを頼りに
これでしょ?
といとも簡単に当て、サビを歌ってくれるのだから、
妹はもはやエスパーなのかもしれない。

しかもそのサビの歌が地味に上手い。
妹は風呂で歌を熱唱するのだが、
それも地味に上手い。

あと、好きな歌が大体1990年代。
本当に10代か?

あいつめっちゃ槇原敬之の「冬がはじまるよ」好きだぞ。
勉強する時に聴いてる曲「もう恋なんてしない」だぞ。
どうした。



ここ最近の歌あての例を出すと
私が昔見たドラマの挿入歌が思い出せなかった時のこと。

もやもやしていたら
何?どうゆー曲?
と手を差し伸べる妹。
なんのドラマかさえも思い出せず、

「なんか、昔のドラマの曲で、悲しい〜、死にたい〜みたいな曲あったじゃん」

という私。

「あぁ、中島美嘉ね。ORIONでしょ。流星の絆。」

そ!!!れ!!!!!
これ!!!!


聴き返しても、死にたいなんて歌詞は出てこないし、めちゃくちゃいいラブソングじゃないか。
切ない感じで…。

何故だ、何故わかった。

私の妹はやはりエスパーなのか。

それはそうと流星の絆また観たいな。





4.めっちゃいい人。

一緒に暮らすと、その人の嫌なところって自ずと見えてくるもんじゃないですか。

妹の場合はそれが全くない。



私が勝手にマンガを読んでも、
あ!それ、面白いよね!
しか言わない。

仏か。


妹が理不尽なことで人を責めているところを見たことがない。

イライラすることがあったからと言ってそれを人にぶつけることはしないし、
そもそもあまり怒らない。

故に妹が何かしらに怒っているとすればそれは完全にこちら側に非があるのだ。

妹が私に怒っているとわかったら、
私は四の五の言わずに
「ごめん、悪かった。」
と謝ることにしている。


妹は怒りをズルズルと引きずる性格でもないので、
謝ったら許してくれるし、
1~2時間経ったらいつもと変わらない態度で接してくれる。


我が妹ながら本当にいいやつだ。




4.運動好き。

私の妹は元陸上部であったこともあってか、運動が好きだ。

今現在、家にズンズンダンダンという音が響いているのも、妹が家にある安っぽいランニングマシンを使っているからだ。

こんなに運動が好きにも関わらず、平均体型というのは何たる皮肉。

しかし、妹の小学校時代がてぷてぷ体型だった事を思い出すと、運動しているから今の体型と考えることも出来る。

兎にも角にもその運動好きを見習わなければ私の将来が危ない。




5.発言がいちいち男前。

私はお菓子の材料を買うのが趣味だが、買うと当然それを消費しないといけないわけで。

その大部分を担っているのが妹。

年頃の女の子がこんなに食べてもいいものかと思うほど食べてくれる。



1度、気になって
「そんなに食べて大丈夫?」
と聞いたことがある。

それに対する妹の答えはこうだ。



「え?だって作ってくれたお菓子が一番美味しいよ?」


既婚男性はこの言葉を毎日使うべきだ。

「お前の作ってくれた料理が1番美味いよ。」

それだけで夫婦関係は円満になるに違いない。


そして、冷静に考えると妹が運動をしても平均体型なのは、私のお菓子を食べすぎているからなのかもしれない。








さて、妹の魅力、伝わりましたでしょうか。

我が妹ながら、本当にすごい。

一家にひとりは欲しいですね。


妹がもし、結婚して家を離れるとわかったら、
私は義理弟に迷惑でも、
妹と一緒に暮らすべく、妹の新居に居候するでしょう。


妹は最近彼氏が出来たと言っていましたが、
妙に色めき立つことも無く、
デートに頻繁に出かけることもなく。


そういう近年稀に見る
クールというか、冷たいというか、冷静というか。

そういう所が、ね。

いいよ。

みんなも嫁にもらうならこういう人がいいと思うよ。ついでに私も付いてくるよ。


ではまた( ̄^ ̄)ゞ

「理想の図書館」とは~私の凝り固まった理想

こんにちは、たのゆーです。

こちらは、秋田にある国際教養大学中島記念図書館
です。

これは、秋田の誇りと言っても過言ではない。
日本で唯一の眠らない図書館。
学外の人も利用可能です。
こんな図書館が地元にあるなんて、私は幸せ者だ…。


さて、先日の記事では

「理想の図書館」

についての質問をされたということをお話したので、今回は、その高2の私が考えていたことを書きたいと思います。

前の記事↓
tanoasu.hatenablog.com



大掃除で発掘した物理のプリント。
その裏に書かれていた「理想の図書館」。


その実物が、こちらです。






はい。

物理の時間にこんなに小さい字で頑張って書いていました。
なつかしい。



先生に

数行でいいよ〜

と、言われていたにもかかわらず

書いていたら止まらなくなって
最後の方なんか書くスペース無くなっちゃってますね。



それにしても字が汚い。
私は昔から集中すると字が汚くなるのですが
客観的に見るとこんなに汚いのか。




これをそのまま図書室に持って行った事を考えると恥ずかしい。


図書室の先生はなんにも言わなかったけど、
汚いと思ってたのかなぁ。
そもそも、
数行って言ったのにこんなに?!
って思っただろうなぁ。


それでも、そんな素振りは見せず、笑顔で、

「問題の裏に書いちゃったんだね。
それじゃあコピーして問題は返した方がいいかな?」

と言ってくれた先生。

やっぱり図書室の先生って好きです。



それでは高校2年の私が考えた「理想の図書館」を今の私の見解等を交えて紹介していきたいと思います。

以下の引用は上の写真のプリントのものです。


いってみよう!




理想の図書館とは



☆ 図書館というものは、ありふれた書店では出会えない本を、読んだり借りたりする場であると思うので、自分では買えないような少し高価な本屋あまり売っていない本がある図書館であるべきだと思う。少し古い本や、サイズの大きい本、初版本があると嬉しい。

…思い出した!思い出したぞ!

この時、私は高校の図書室に少し不満を持っていたんだった!

小学校、中学校と小さい学校で過ごしてきた私は、高校の図書室に憧れを抱いていました。それが見事に打ち砕かれたあの図書室。


まず、冊数が少ない。
そして、本棚が味気ない。


理想の図書館は?
と聞かれて、私はこうだったらなぁと考えながら、初めの数行にわたって学校の図書室への不満を暗に打ち明けていたのです。


それもあろう事か図書室の先生に。図書委員に。図書新聞に。

あぁ、昔から家族に
回りくどいやら
ちょっと皮肉っぽいやら
言われていたのはこういう事だったのか。



これを読んで図書室への不満だと気づく人はいなかっただろうとは思うけど、あー、後悔。


つまりは、学校の図書室は、来る人を増やしたいがために人気のある本しか集めない、置かない、そんな図書室だったのです。



でもそれは書店にも売ってるじゃん、図書室では新しい発見がほしいじゃん、
そう言っている高校2年の私が浮かぶ…


唯一の救いは書庫があったこと。



生徒は自由に立ち入り出来ましたが
暗くて寒くて、明かりをつけるのも自分で、
それも結構入り組んだ所にスイッチがあったので
私以外に書庫に入っている生徒を見たことはありませんでしたし、書庫と言ってもそれほど大きいものでもなかったのですが、

何しろ、私が高校の時に熱中して読んでいた
全集があったので嬉しかったですね。

本当はそっちを図書室に置いて欲しかった。





☆ 学生が勉強するスペースが決まっていると良いと思う。本を読みたくて来ている人が、何時間も勉強する学生で席がうまっていて座れないという状況が多々。かといって、学生と部屋をわけて区分けするのは違う。本に囲まれているという空気感が学生の勉強に対する集中力を上げているから。

…こんなこと考えてたんだ、私。
確かに勉強しに行く時、席にずっと座っていて申し訳ないという気持ちはあったかも。でも家だと集中出来ない。


私の市の図書館が分けられてなかっただけで他の図書館だと分けられていたりするのかな。

やっぱり分けて欲しいなぁ。
それか席を増やすか。

うん。そうして欲しい。



☆ 図書館はカフェ化してはいけない。本に悪影響なので図書館でコーヒー、ドーナツ等を販売するのは間違っていると思う。そもそも飲食しながら本を読みたいのであれば、本を多く置いているカフェに行けばよい。公的な図書館でみんなのもの(市のもの?)である本に悪影響が及ぶサービスをするのは少し…。


…あ、これは今も同意です。

本を愛するが故のこだわりというか、なんと言うか。
本にはいつも過ごしやすい場にいて欲しいのです。

そうだ、高校の時は、
お金があまりないのに加えて
「自分の家に本を置くなんておこがましい」
と考えて本をあまり買っていなかったんだ。

だから図書館を多用していたんでした。

今は家にも本を置いていますが、やっぱり本にはいい環境にいて欲しいので。せめて図書館は、という意味でカフェ化してはいけない。と書いたんでした。




☆ 映画化している本があれば、そうと分かるように印をつけてあると嬉しい。


…これね。
映画好きはわかってくれると思う。
よく図書館とかだと、映画化した本特集!みたいにやってるけど、そこの入りきれてないのもあると思うから、
普通に並べていても分かるように背表紙に何か印があったらいいなという咄嗟の思いつき。

これはやって欲しいなぁ。
やってる図書館ないかなぁ。




こっからだんだんマニアックに…
同意してくれる人はいるのだろうか…



☆ 革新的なサービスが欲しい。

ex,自分の書斎が作れるサービス(一定の本好きは嬉しいです。)


家の小規模化が目立ち、書斎の無いコンパクトな家が多い。本好きからすると、自分の書斎が作れるというのは夢のようなサービスである。


…なるほどね。
とにかくこの時は、書斎が欲しかったんだ。

高2如きが書斎。
どうかしてたんだな。

家がちっちゃくて本のための部屋が無いのが不満だったのか。

高2で自分の書斎がある人って全国にどれくらいいるのかな。いるのか?




実現の可能性《高》 ・図書室においてあるパソコンに登録すれば、自分のお気に入りの本、読みたい本を『自分の棚』的なものに並べることができるサービス。本棚は自分が好きなようにカスタマイズでき、ワンクリックで何日に借りる等の予約ができる。但し、あくまでパソコン上。

…実現の可能性って。自分で分析かよ。って感じですね。お恥ずかしい。

でもこれは意外と現実的。
やってる図書館もあるのでは?

しかし、パソコンという文明の利器は
アナログ人間の私にとって、
未知の存在なので、
このサービスがあっても活用できない気がする。





実現の可能性《低》・一定料金を払えば1年間(もしくは2年or半年程)、書斎となる空間が与えらえ、(4~6畳)。そこに自分の好きな本を並べることができる。イスや机、本棚はオプションで、自分でも持ち込み可。図書館と話し合えば、数年貸し出されていない本なら無料で入れられる。そうでない本は希望の日付けがあればその日のみ可。また、図書室に申し込めば本をそろえてもらうこともでき、その場合は、本来の料金より安い金額で本を買える。期間が過ぎればその本は図書館のものとなる。追加料金で購入可。しかし、期間の延長は不可。(予約等に空きがあれば可。)再度書斎を作る場合は再び一定料金。追加料金で前の書斎の復元可。

…ふぅ。長かった。
えーと、これはほんとに私の理想の塊です。

同じ考えの人はそうそういないでしょう。


しかも書いてたら妄想が膨らんで料金プランとか考えちゃってる。
家具はオプションってなんだ。
ほんとに高2か。


これをやる図書館は今後も現れないと思いますが、やってる図書館があったら教えてください。


迷わず料金を支払いに参ります。

なんか、見れば見るほどやって欲しくなってきた。
特に、安い金額で本を買えて、一定期間が過ぎたら図書館のものになるけど追加料金で買えるとこ。
良いと思う。

でもこれはあくまで一般人の(高2の?)
意見なので、
図書館側からしたらやっぱりいろいろ厳しいんだろうなぁ。

無理だろうなぁ。




と、こんな感じのことを
高2の私は考えていましたとさ。



皆さんの理想の図書館はどんな図書館ですか?




やっぱり私はどんな図書館でも癒しの場であって欲しいです。




ではまた( ̄^ ̄)ゞ

私が本を好きになった単純な理由。そして、難問。

こんにちは、たのゆーです。


突然ですが、本は好きですか。


私は小学校の頃から本を読むことが大好きでした。
家でいつまでも本を読んでいたので「もう本読むのやめなさい!」とお母さんに怒られたこともありました。



好きになったきっかけは、この本!!とかではなくて、
いや、きっかけの本みたいなものも、あるにはあるんだけど、
図書室通いするようになったのは、
図書室の先生が好きだったからです。


それはそれは綺麗な先生で、優しくて、絵も上手くて、図書室通いが習慣になるのも当たり前。


でもいつも一緒に行くのは仲のいい友達くらいで、
ほかの人はみんなグラウンドでサッカーしてたなぁ。


ちょうど図書室からグラウンドが見えるから、どうしてみんな図書室に来ないのか不思議に思っていました。



通っているうちに本が好きになって、いつの間にか図書室に行く目的は「本」になってましたね。


うちの小学校は朝から図書室が空いてて、
学校についたらまず図書室!
昨日途中まで読んだ本を棚から引きずり出してお気に入りの席に座って読む。
図書室の時計はちょっと進みが早くて、トトロの時計が8時の歌を鳴らしたら、急いでランドセルを背負って廊下を走って教室に行くんです。
席についたらちょうど8時で朝の会。

そんな子供時代でした。


朝の図書室は1人で行くので、ゆっくり本を読めて好きでしたね。



4年生になったら委員会活動が始まるんですよ。迷わず図書委員になったんですが、図書委員って図書室にいても本読めないんだって分かって驚愕しました。



登下校も本を読みながら歩くような子供だった私。
今だったら絶対にクラスから浮くような子でしたが
何しろ田舎の学校なので、

幼稚園、小学校、中学校はほぼ同じメンツ。


昔からの友達に囲まれ、

小学校の2年あたりから本好き二宮金次郎と化した私でも特にハブられたりはしていませんでした。




ただ、中学校で気づいたことがひとつ。


それは




「本を読んでいると友達が寄ってこない。」


ということ。

本を読んでいない時は何ともないのですが、
本を読んでいる時、
私は異様なオーラを発しているらしく、

全く友達が話しかけてこない。


まぁ当たり前ですよね。私だってよっぽど重要な事じゃなきゃ本に熱中している人にはわざわざ話しかけません。



ココで問題が発生。



高校で今の生活を続けたら友達が1人も出来ない疑惑。




高校は受験だから、友達と離れ離れになる。

本を読んでたら人が寄ってこない。

自分から話しかけるコミ力もない。

||

友達ができない。




なんということでしょう。
ぼっち確定ではありませんか。


それはヤバい。
かなりヤバい。


人間関係が重要な「学校」という場で、
ぼっちは、
ヤバい。


私は決心しました。



高校の休み時間には本を読まない。
と。


そしてなんとかそれを達成し、楽しい高校生活を送ったのですが、その反動からか、
放課後に図書室に行って何冊か本を借り、部活が終わったら家に帰って勉強そっちのけで読む。

という生活が続いたので
結局、読んでる量はあんまり変わっていませんでした。



そんな中、
高校2年の冬、先生に
図書室に来て。
と呼ばれました。

さっき紹介した小学校の図書室の先生とは違う先生です。
でも基本、図書室の先生は好きなので、勿論行きます。すぐ行きます。




図書委員が毎月書いている
図書新聞に協力してほしい。


とのこと。


私はその時、図書委員ではありませんでしたが、
2年生の中で1番本を借りていたらしく、

私の意見を図書委員が話し合ったりして図書新聞を書きたい、と。そう言われたら断れませんよね。




そのお題が

「理想の図書館」

というものでした。





学校の図書室に関わらず、


図書館がこうだったらいいな。
こうして欲しいな。


という意見があったら意見を出して欲しい。





なるほど。


なかなか難しい質問だ。



本好きからしたら
図書館とはもはや聖地。


あの、本に囲まれた空間。

最高。



本好きはいつも受け身だと思います。




図書館からは本を。

本からは学びを。愉しさを。




図書館はいつも与えてくれる側だと思っていた私は、

図書館がこうだったら、

と考えることはあまりなかったので


それは難しい質問でした。




冬休み中に考えてきて〜



とは言われたものの、

うーんうーんと頭を悩ませても、いい考えが浮かばずお正月は過ぎ…

というのは嘘で、冬休み中その事はすっかり忘れていたのですが

冬休みが開けました。


さて困った。

仕方ない。物理の時間に考えよう。

物理の先生はおじさんのくせに、妙にいい匂いがする先生で、優しいかつ授業が遅いので、

物理が得意な私はよくサボって他の宿題をやっていました。
なつかしい。
あの先生なんで、あんな赤ちゃんみたいないい匂いしたんだろ。



そうして物理の時間、問題プリントの裏に「理想の図書館」について書きなぐったものをこの前の大掃除で発掘致しましたので、
(よく今まで眠ってたな)

次の記事では
私が高校2年の時に考えた
「理想の図書館」
を紹介したいと思います。


私の理想が凝り固まったものですが、よろしければお読みになってください。
tanoasu.hatenablog.com



あぁ、なんかグダグダした記事になってしまった…

ちなみにこれは
アメリカのJay Walker氏の自宅だそう。

こんな空間に囲まれて、本を読んでみたいものです。



ではまた( ̄^ ̄)ゞ

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お菓子の材料が増えるに増えて消費に困っている件について

こんにちは、気になることが色々とあって消化しきれていない、たのゆーです。

消化しようと頑張ると様々なことに手がつかなくなり、ヤバいので、今日は、ちょっとお菓子材料なんかのことを書いて、気を紛らわせようと思います。


初めましての記事にも書いたように、私はお菓子の材料集めが趣味でして、何でもかんでもというわけでもありませんが、気に入ったものはカゴにポイッ。欲しいものはポチッとな。としてしまう質なのです。

まぁ、今まで特に困ることなく消費出来ていたのですが、最近時間がなかったこともあり、
お菓子を作る暇が無く、

一番最近作ったものといえばクリスマスケーキくらいで、
あれ、意外とほんとに最近だ

とにかくお菓子材料が余りまくりで困っています。


一番困っているものといえば




粉糖。





粉糖。





粉糖。



そう、粉糖3kg。


何を思って私は粉糖を3kgも買い込んだのでしょう。


初めはクッキーやらを作ろうと思い、粉糖を買い、

どうせ作るなら
アイシングクッキーにしようと思い
粉糖を買い、


何故か、もう300gくらい買っとこうかな〜
と思い、粉糖を買った
(ここまで1.5kg)

という所までは覚えているのですが、



その後、3kgに至るまでの
もう1.5kgの記憶が

スッポリ抜けてしまっています。


何故ゆえ。



恐らく、新年テンション真っ盛りだった頃に

あ☆ 粉糖だ☆ かっちゃえ☆


の様なノリで買ったのでしょう。





さてこの粉糖どうしたものか。

そもそも家で作るお菓子はそんなに大がかりなものでもないので粉糖を大量消費することってそんなに無くて

アイシング以外は

かといって粉糖3kgでアイシングクッキーを作ろうものなら私はアイシング中に干からびてしまうので、本気で困っています。



時間もない。

打開策もない。


粉糖の寿命は刻一刻と迫ってきている。
(あくまで砂糖です。そんなには迫ってません。)


そんな状況。



あぁ、またひとつ悩みが増えてしまった…。



と、書くこともそんなに無いのですが
前回と比べていきなり記事が短くなりすぎるのもどうかと思うので、


誰も興味がないであろう
たのゆーのお菓子過去作貼っちゃいます☆


いってみよう☆☆
あ、ちょうど1000文字











これはバレンタインで作ったトリュフですね。
なんか余った3個をいい感じにならべて写真撮って加工したの覚えてる。おいしく見えるやつ。
今見るとめちゃくちゃ加工してる感。
数年前は若かったな〜



お次は!




あ、妹の誕生日ケーキだ
懐かしい

やっすい生クリームみたいなやつで作ったから塗りにくかった。おめでとうプレートも作ったはいいけど夏場だから溶けてるし。
写真もブレてる。



こ!これは!
何年かぶりに買った子供お菓子キットみたいなやつ!
これ、やってみると楽しいです。




カロン。時には成功、時には大失敗のマカロン
この時は奇跡的に成功してる。



ハロウィン!だ!
カボチャ!だ!
もうちょっと味のある撮り方ができないものか。これ以来アイシングクッキーとはご無沙汰してます。



あれ、これかな
この前のクリスマスケーキ。
自分で作ったのに、デコレーションこうだっけ?とか思ってしまう。


いまあるのはこれだけか〜
上手くいった時だけ写真撮ってるのがよくわかる。

カロンとかひどい時ひどいもの。

半日をかけて、つくって、それが無駄になった時


虚しいったら
ありゃしない。

どこにもぶつけられない虚しさ。


結局自分がどっかで間違ったせい。
だからといってもマカロンは分かりません。
どこがだめだったのか。


やっぱりマカロナージュなのだろうけど。
カロンの成功は気まぐれだと思ってる。

確率あげるには練習あるのみだけどそんな時間ないですね。






なんか、いい感じなったやつだけあげてなんだよって感じですね。


結局自己満です。
こんなレベルですみません。



あと、写真ってどうやって小さくするんだこれ…いっつも
どーん!
って感じになる。

あとで調べよう


ではまた( ̄^ ̄)ゞ

三毛別羆事件~熊が北海道で村ひとつを壊滅させた事件知っていますか。

こんにちは、たのゆーです。

今日は、日曜日ですね。
私は日曜日の朝、ゆったりするのが1週間で一番落ち着く時間で好きなのですが、テレビを一緒に観ていた父の一言で、私の好きなその時間帯の全てが失われてしまいました。しかし、今まで知らなかった衝撃的な事件を知ることができ、それを誰かに知らせたいという思いでいっぱいなので記事にしたいと思います。



松本人志さんがコメンテーター、東野幸治さんらが司会の「ワイドナショー」、今日もとても楽しく拝見させていただきました。ゲストの方々が様々な視点から話題のニュースを語っていて、有名な方の持論を聞けるので個人的にはとても好きな番組です。日曜日の朝にしては重いかなとも感じますが。



その後のことに気を取られすぎてどのような話題だったかはうろ覚えですが、
確か、議論されていたのは

小学校で熊が射殺された事

について

だったと思います。

小学生の親や、地元の人は苦情を言っていないのに、
他県から「熊がかわいそう」
「小学校庭で射殺はどうか」というような批判が殺到したとか。


秋田県民、田舎民からしたら、熊というのは本当に身近というか、なんというか度々目撃されるもので、

学校の帰りの会で、「熊の目撃情報が出たので気をつけて帰ってください。」
と先生から注意が入るみたいなのは日常茶飯事で、



「〇〇さんの小屋、熊で荒らされたって」
「□□君ちのおばあさん熊みたんだって」


なんていう会話も普通に家庭で繰り広げられ、



「山菜採りに出かけた何歳男性が熊に襲われるという事件が発生し…」

というニュースが流れれば
わいわいわい(大変だ大変だ)


「民家に熊が侵入し…」

と流れれば
熊が降りてくる時期か…(悟り)


というような感覚で、小学生で射殺された事に関しても「熊がかわいそう」とかそういうことは思わなかったので、(小学生に怪我なくて良かったなと思った)

田舎と都会では
熊についての認識がだいぶ違うんだなぁと思いましたね。



なかなか辛辣な言葉で意見を述べたりされる番組だから炎上したりするのもわからなくもないけどいつも興味の出る話題について話しているから面白いなぁ。

という気持ちで観ていたら、


突然父が、













「熊が北海道で村ひとつを壊滅させた事件知ってるか。」









え、なに。こわい。
知らない。
最近の?





「俺が小さい時に映画でやってた。確か大正4年の事件だったような…」



「なんだっけ、さんけ…三毛別…?」







「冬眠し損ねた熊が人を殺して、保存食にしようとして…」





ちょっとまって。
まだ私の中で受け入れ許可できてない。



それって結構な獣害では?
それを今まで知らなかったなんて。
大正4年とはいえ。


恐る恐る聞いていると

父もところどころ忘れているよう


「被害者何人だったか。うーん…」


とか詰まっているので

はっきりさせたい

ということで

Wikipediaを開くと…


三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別で発生した、クマの獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件。

Wikipedia三毛別羆事件」引用



三毛別羆事件


ほんとに4年だ…

12月ってこと父の言った通り冬眠し損ねたのか。
そういう熊を「穴持たず」というみたいです。


この事件を知っている方はどの位いらっしゃるのでしょう。
私は全く知りませんでした。
調べてみると何年か前にテレビなどで紹介され、本も出されているみたいですが、
私のように知らない方もいるのではないかと思い、紹介させて頂きます。


ここからは
Wikipediaの文が衝撃的すぎる、かつ長いので引用しながら説明したいと思います。







《 》内部に私の感想を書かせていただきます。




重要な描写を抜粋させて頂いたので泣く泣く載せられなかった描写もあります。


かといって
端的に説明するのは難しく、
かなり長い記事になってしまいました。



更にはWikipediaでのなかなかショッキングな描写を引用した部分もありますので

それでもいいよ。

という方のみ、お進み下さい。



























三毛別羆事件


事件の経緯


池田家の騒動

11月初旬のある夜明け前、六線沢の池田家に巨大なヒグマが姿を現したが、被害はわずかなものに留まった。その後ヒグマは三度現れたが仕留めるには至らなかった。足跡の巨大さから「このクマはあまりの巨体のため、自分の身に合う越冬穴を見つけられなかったのではないか」と推測し、「穴持たず」となったクマは非常に凶暴であることを付け加えた。




12月9日
太田家の惨劇
秋から冬にかけ、開拓村では収穫した農作物を出荷するため男達の多くは出払っていた。


12月9日の朝、太田家でも、同家に寄宿していた長松要吉が仕事に向かい、当主の太田三郎も出かけ、妻・阿部マユ(当時34歳)と太田家に預けられていた少年・蓮見幹雄(当時6歳)の2人が留守に残りった。




昼、要吉が食事のために帰宅すると、土間の囲炉裏端に幹雄がぽつんと座っていた。狸寝入りしているのだろうと思った要吉は、わざと大声で話しかけながら近づき、幹雄の肩に手を掛けてのぞき込んだ。その時、要吉は幹雄の顔下に付着した血の塊と、何かでえぐられた喉元の傷を見つけ驚愕した。幹雄は亡くなっていた。要吉はマユを呼んだがただ薄暗い奥の居間から異様な臭気が漂うのみであった。


《 狸寝入りしていると思って声をかけながら顔をのぞき込む。こんなにも日常的な行動が行われていることで、より恐怖感が増すように感じます。文からは要吉さんが感じたであろう怖れが伝わってきて、私がもし発見者であったらと考えさせられました。》



入口の反対側にあるトウモロコシを食べようと窓に近づいたヒグマの姿にマユと幹雄が驚いて声を上げ、これがヒグマを刺激したものと思われた。ぐるりと回るようなヒグマの足跡は部屋の隅に続き、そこは鮮血に濡れていた。それは、まさかりや燃える薪を振りかざして抵抗しつつ逃げるマユがついに捕まり、攻撃を受けて重傷を負ったことを示していた。そこからヒグマはマユを引きずりながら、土間を通って窓から屋外に出たらしく、窓枠にはマユのものとおぼしき頭髪が絡みついていた。


実は事件直後、三毛別の村人が太田家の窓側を通る農道を馬に乗って通り過ぎていた。彼は家から森に続く何かを引きずった痕跡と血の線に気づいたが、マタギが獲物を山から下ろし太田家で休んでいるものと思い、その時は特に騒ぎ立てなかった。


《 村人がマタギが通った跡だと思った線がマユさんのものだったとは。時間が余り経っていないことを考えると村人がマユさんを引きずっている熊に鉢合わせになる可能性も十分にあったことが分かります。》


事件の報に村は大騒動となったが、この日に打てる手は少なかった。とり急ぎ幹雄の実家である蓮見家への連絡を取らなければならない。しかし、通信手段は誰かが直に出向くより他になかった。それは斉藤石五郎(当時42歳)が引き受けることになった。石五郎は、所用にて当主・安太郎が鬼鹿村へ外出しなければならない明景家に妊娠中の妻・タケ(当時34歳)、三男・巌(当時6歳)、四男・春義(当時3歳)の家族3人を避難させ、要吉も男手として同泊する手はずが取られた。





12月10日
捜索
早朝、斉藤石五郎は村を後にした。残る男達は、ヒグマを討伐してマユの遺体を収容すべく、約30人の捜索隊を結成した。周囲を捜索した彼らは、トドマツの根元に小枝が重ねられ、血に染まった雪の一画があることに気付いた。その下にあったのは、黒い足袋を履き、ぶどう色の脚絆が絡まる膝下の脚と、頭蓋の一部しか残されていないマユの遺体だった。

このヒグマは人間の肉の味を覚えた。マユの遺体を雪に隠そうとしたのは保存食にするための行動だったー。


《 野生の羆が人間の味を覚える。シンプルな文ですが、これがどれだけ怖いことか。人間を保存食にするため雪に隠そうとしたとは。まさに、序盤にあるとおり「穴持たず」の熊は凶暴である。だと思いました。》



太田家への再襲


夜になり、太田家では幹雄とマユの通夜が行われたが、ヒグマの襲来におびえ、参列したのは9人だけだった。幹雄の実母・蓮見チセ(当時33歳)が酒の酌に回っていた頃、大きな音とともに居間の壁が突如崩れ、ヒグマが室内に乱入して来た。棺桶が打ち返されて遺体が散らばり、恐怖に駆られた会葬者達は梁に上り、野菜置き場や便所に逃れるなどして身を隠そうとする。混乱の中、ある男はあろうことか自身の妻を押し倒し、踏み台にして自分だけで梁の上に逃れた。以来、夫婦の間では喧嘩が絶えず、夫は妻に一生頭が上がらなかったという。

50人ほどの男達が、物音や叫び声を聞いて駆けつけたが、その頃にはヒグマはすでに姿を消していた。

《 通夜の最中にまたしても羆が襲ってくるとは。恐ろしい限りです。》




明景家の惨劇


その頃、明景家には明景安太郎の妻・ヤヨ(当時34歳)、長男・力蔵(当時10歳)、次男・勇次郎(当時8歳)、長女・ヒサノ(当時6歳)、三男・金蔵(当時3歳)、四男・梅吉(当時1歳)の6人と、斉藤家から避難していたタケ、巌、春義の3人、そして要吉の合計10人(タケの胎児を含めると11人)がいた。

太田家からヒグマが消えてから20分と経たない頃、ヤヨが背中に梅吉を背負いながら討伐隊の夜食を準備していると、地響きとともに窓を破って黒い塊が侵入して来た。その正体は、見たこともない巨大なヒグマだった。

ヤヨは屋外へ逃げようとしたが、恐怖のためにすがりついてきた勇次郎に足元を取られてよろけてしまう。そこへヒグマが襲いかかり、背負っていた梅吉に噛みついた後、3人を手元に引きずり込み、ヤヨの頭部をかじった。だが、直後にヒグマは逃げようと戸口に走っていく要吉に気を取られて母子を離したため、ヤヨはこの隙に勇次郎と梅吉を連れて脱出した。


追われた要吉は物陰に隠れようとしたが、ヒグマの牙を腰のあたりに受けた。要吉の悲鳴にヒグマは再度攻撃目標を変え、7人が取り残されている屋内に眼を向けた。ヒグマは金蔵と春義を一撃で撲殺し、さらに巌に噛みついた。この時、野菜置き場に隠れていたタケがむしろから顔を出してしまい、それに気付いたヒグマは彼女にも襲いかかった。居間に引きずり出されたタケは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたが、上半身から食われ始めた。


《 熊に胎児の命乞いをする母、子供が心配で顔を出してしまい襲われるとは、なんと言えばいいのか分かりませんが、本当に悲しいです。》

川下に向かっていた一行に、重傷のヤヨと子供達がたどり着き、皆は明景家で何が起こっているかを知った。途中で、重傷を負いながらも脱出してきた要吉を保護した後、男達は明景家を取り囲んだが、中からは、タケと思われる女性のうめき声と、肉を咀嚼し骨を噛み砕く音が響く。一同は二手に分かれ、入り口近くに銃を構えた10名あまりを中心に配置し、残りは家の裏手に回ったが、仕留められずヒグマは姿を消した。


松明を手に明景家に入った者の眼に飛び込んできたのは、飛沫で天井裏まで濡れるほどの血の海、そして無残に食い裂かれたタケ、春義、金蔵の遺体であった。タケの腹は破られ胎児が引きずり出されていたが、ヒグマが手を出した様子はなく、その時には少し動いていたという。しかし一時間後には死亡した。力蔵は雑穀俵の影に隠れて難を逃れ、殺戮の一部始終を目撃していた。ヒサノは失神し、無防備なまま居間で倒れていたが、不思議なことに彼女も無事だった。力蔵とヒサノを保護し、遺体を収容した一行が家を出たところ、屋内から不意に男児の声があがった。ひとり中に戻ると、むしろの下に隠されていた重傷の巌を見つけた。巌は肩や胸にかみつかれた傷を負い、左大腿部から臀部は食われ骨だけになっていた。

重傷者は辻家に収容されて応急の手当てを受けた。巌は母・タケの惨死を知るすべもないまま、「おっかぁ!クマとってけれ!」とうわ言をもらし、20分後に息絶えた。この二日間で6人、胎児を含めると7人の命が奪われ、3人が重傷を負った。




12月11日

すべての住民が三毛別分教場に避難した六線沢に人影はなく、三毛別地区区長の大川与三吉(当時47歳)らが話し合い、ヒグマ退治の応援を警察や行政に頼ることを決議した。その一方、家族に降りかかった悲劇を知らず雪道を往く斉藤石五郎は、11日昼近くに帰路についた。下流三毛別にたどり着き、妻子の受難を知らされ、呆然と雪上に倒れ伏しただ慟哭をあげるしかなかった。

《 石五郎さんが帰ってきた時には妻子は亡くなってしまっていた。石五郎さんがどれだけ無念だったか。どれだけ熊が憎かったか。》


12月12日

討伐隊の組織
六線沢ヒグマ襲撃の連絡は北海道庁にもたらされ、討伐隊の組織が指示された。

菅警部は協力を仰ぎ、多くの人員が三毛別に集まった。しかし、林野に上手く紛れるヒグマの姿を捕らえることはできなかった。





待ち伏せ
ヒグマには獲物を取り戻そうとする習性がある。これを利用する策が提案され、菅隊長はこの案を採用し、罵声さえ覚悟して遺族と村人の前に立った。だが、説明に誰一人異議を唱える者はおらず、皆は静かに受け入れた。こうして、犠牲者の遺体を餌にヒグマをおびき寄せるという前代未聞の作戦が採用された。

作戦はただちに実行された。銃の扱いに慣れた7名が選ばれ、交替要員1人を除く6名が、補強した梁の上でヒグマを待ったがヒグマは歩みを止めて中を警戒したため作戦は失敗に終わった。




12月13日
この日、将兵30名が出動した。一方、ヒグマは村人不在の家々を荒らし回っていた。その暴れぶりからもヒグマの行動は慎重さを欠き始めていた。昼間であるにもかかわらず人家に踏み込むなど警戒心が薄れていた。

そして夜、一人が、対岸の切り株の影に不審を感じた。隊長の命令のもと撃ち手が銃を放った。すると怪しい影は動き出し闇に紛れて姿を消した。





12月14日
最期
一行は、そこにヒグマの足跡と血痕を見つけた。急いで討伐隊を差し向ける決定が下された。一行の他に、10日の深夜に話を聞きつけて三毛別に入った山本兵吉(当時57歳)という熊撃ちがいた。兵吉は、若い頃に鯖裂き包丁一本でヒグマを倒し「サバサキの兄(あにい)」と異名を持つ人物で、評判が高いマタギだった。

兵吉は討伐隊と別れ、単独で山に入った。ヒグマは頂上付近でミズナラの木につかまり体を休めていた。音をたてぬように、にじり寄った兵吉は、銃を構えた。銃声が響き、一発目の弾はヒグマの心臓近くを撃ちぬいた。しかしヒグマは怯むことなく立ち上がって兵吉を睨みつけた。兵吉は即座に次の弾を込め、素早く放たれた二発目は頭部を正確に射抜いた。12月14日午前10時、轟いた銃声に急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、村を恐怖の底に叩き落したヒグマの屠られた姿だった。





熊風
ヒグマは雄で、重さ340kg、身の丈2.7mにも及び、推定7 - 8歳と見られ、頭部の金毛は針のように固く、体に比べ頭部が異常に大きかった。これほど特徴のある熊を誰も見たことがないという。隊員たちは怒りや恨みを爆発させ、棒で殴る者、蹴りつけ踏みつける者など様々だった。やがて誰ともなく万歳を叫びだし、討伐隊200人の声がこだました。

ヒグマの死骸は馬ぞりに積まれた。しかし馬が暴れて言うことを聞かず、仕方なく大人数でそりを引き始めた。すると、にわかに空が曇り雪が降り始めた。雪は激しい吹雪に変わりそりを引く一行を激しく打った。言い伝えによればクマを殺すと空が荒れるという。この天候急変を、村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだ。





解剖

解剖が始まり胃を開くと、中から赤い布、肉色の脚絆、そして阿部マユが着用していたぶどう色の脚絆が、絡んだ頭髪とともに見つかり、皆は悲しみを新たにした。犠牲者の供養のため肉は煮て食べられたが、硬くて筋が多く、味は良くなかったという。皮は板貼りされて乾燥させるため長い間さらされた。その後肝などとともに50円で売却され、この金は討伐隊から被害者に贈られた。毛皮や頭蓋骨は消息不明である。


《 熊が殺されても悲しさ、悔しさが癒えることはなかったのではないかと考えます。熊を食べる時、人々はなにを思っていたのか、想像が及びもつきません。》



その後

ヤヨは順調に回復したが、背負われたまま噛みつかれた明景梅吉は、2年8ヶ月後に死亡した。この少年を含め事件の死者を8人とすることもある。

事態は解決しても、村人に心理的恐怖を残した。ひとりまたひとりと村を去り、下流の辻家を除いて最終的に集落は無人の地に帰した。

ヒグマを仕留めた山本兵吉はその後もマタギとして山野を駆け回り、92歳で亡くなった。彼の孫によると、生涯で倒したヒグマは300頭を超えるという。


区長の息子、大川春義(当時7歳)は、その後、名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓三渓神社に建立した。また春義の息子・高義もハンターとなり、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。

《 春義さんの悔しさは熊を仕留めていくことで和らいでいったのだろうか。今となっては分かりませんが何人もの命を奪い、何十人もの人々の人生を変えてしまった「三毛別羆事件」が悲劇であったことは今後も変わりません。》

Wikipedia三毛別羆事件」より引用



ここまで読んで下さった方はいらっしゃるのでしょうか。想像以上に長い記事になってしまいました。


私の熊及び野生動物の認識はこの事件を知ったことで大きく変わりました。近くに熊がいるといっても実際に襲われそうになった経験もない私は熊たちが危険な存在であることを知ってはいても、本当のことは何一つ知りませんでした。
2016年に秋田鹿角で、熊に襲われた遺体が発見されていても、深く調べることをしたりはしませんでした。
知るチャンスはいくらでもありました。
何故あの時、そのような事件について調べなかったのか、本当に後悔しています。
これを知ったからと言って、その恐ろしさのすべてを理解出来たとは到底思っていません。

しかし

三毛別羆事件は忘れてはならない悲劇
です。


当事者でない私が書いて良いものかとかなり考えましたが、皆さんに知ってもらいたいという一心で書かせていだだきました。

さらに詳しく知りたいという方には今回載せることの出来なかったWikipediaの文をぜひ読んでほしいです。


後日談

大川春義さんの最期

1985年12月9日、三毛別羆事件の70回忌の法要が行なわれた。大川は町立三渓小学校の講演の壇上に立ち、「えー、みなさん……」と話し始めると同時に倒れ、同日に死去した。大川は酒も煙草もやらずに、当日も朝から三平汁を3杯平らげ、健康そのもののはずであった。その大川が事件の仇討ちとしてヒグマを狩り続けた末、事件同日に急死したことに、周囲の人々は因縁を感じずにはいられなかったという。
Wikipediaより

春義さんは、

犠牲者たちの仇だけを考えてヒグマ狩りを続けたものの、100頭を達成した後には、本当に悪いのはヒグマではなく、その住処を荒らした自分たち人間の方ではないかと考えた

Wikipediaより

とあります。



羆がした事は本当に恐ろしい事ではあるけれど、先に羆の住処を荒らしたのは人間。




先進国の中でもとくに大型の野生動物が人のそばに暮らす状況にある日本。






野生動物と人間は共存できないのか。





人間が自然に戻ることは難しいでしょう。





人はどうするべきなのか。どうしようもないのか。



生態学者でも何でもない私がこんなことを言うのはあつかましいし、結論も出せるわけがない。



ただ、この事件を知ったことで色々なことについて、考えるきっかけになりました。


皆さんにも是非この事件を知って欲しい。

考えてほしい。


新年なので家にあって誰も手をつけないモノを食べてみた。

こんにちは、たのゆーです。

新年あけましておめでとうございます。
さてさて、新年ですね。新年なので、普段は絶対しないようなことをしてみます。


家にあるにはあるけど誰も手をつけない食べ物を食べ切って新年の幕開けと致しましょう。


どの家にも必ず、「買ったはいいけど誰もコレ食べないんだよなぁ」っていうものがあるはず。
うちにも居ました。買われたのにも関わらずほっとかれている食べ物たち。どうせ食べられないんだろうと諦め顔のこの子たちに救いの手を差し伸べてあげましょう。


そんな事をしたくなるのが新年テンション。

四日続けて朝昼晩と蕎麦を食べれてご機嫌だから出来ること。



さぁ、決心が鈍らないうちにいってみよう!



記念すべき第1個目はこちら!

ででん!


キャラメルト

知ってますか?キャラメルト。
私もね、知らなかったよキャラメルト。

母方の伯母さんは帰郷する度にその道中で買った個性的なものをお土産として持ってきます。
この子もその中のひとつ。

なのだけれど、
うん。
君が冷蔵庫に居ても誰も手をつけなかった理由が今わかったよ。

…あのね、

世の中には融合させちゃいけないものってあると思うんです。


これもまた然り。

キャラメルとヨーグルトの融合。
どうして融合させてしまったのですか。

別々の方が絶対美味しいよ。

口に広がるキャラメルの風味。だが、ヨーグルトも負けじと自己主張。両者は協力という2文字を知らぬのか。
濃厚な口当たりが両者の争いを加速させている。今まで濃厚な口当たりをこんなにも憎んだことはない。
忘れたころに存在を露わにする甘く芳醇な香りのマダガスカル産バニラビーンズ。
お願いだからずっと隠れてて。
アーモンド、君も居たのか。
パッケージをみなきゃ気づかなかったよ。
君はそのままの君でいてくれ。

家族の贅沢キャラメルト。
家族は誰も食べてくれませんでした。

ごめん、キャラメルト。
私の力不足で、貴方を食べ切れそうにないよ。


コレは皆食べきれないでしょ、
と思ってググってみたら
意外と評価高め。
星4でした。(星7中)

中には星6とかの人も。


キャラメルトは好みが分かれるみたいです。
興味がある人は買ってみるのもいいかも知れません。
おすすめはしません。



さて、
2つ目を飾るのはこの子!

ででん!



ジャンボヨーグル
いやー、ジャンボだねー。
ジャンボジャンボ

懐かしの駄菓子と言えば「モロッコヨーグル」でしょう。あの頃は小さいカップではなく丼いっぱいのモロッコヨーグルを食べたいと夢見たものです。



食べたいとは夢見たけども…!


なかなか思い切ったねサンヨー製菓さん。



昔の値段は10円~20円だったはず。
そして、この子は約200円。
10倍だよ、10倍。
内容量も約10倍。


…思い切ったね、サンヨー製菓さん。



小さい頃は謎が多かったモロッコヨーグル。
ヨーグルト味かと思いきや、そうでもないモロッコヨーグル。

この子の正体がフタに!

原材料…
植物油脂、砂糖、ブドウ糖、酸味料、etc……

ほ、ほう。これは、なかなか。

小さい頃はフタなんてすぐ捨てちゃってたから知らなかったけど、

ヨーグルって殆どが油脂と砂糖で出来てるのか。

まぁ何となくそんな気はしてたけど、なんだかショック。

でも気にせず食べちゃいます。


シャリッふわっとした食感、そして酸味。


…なんだろう。食べれるよ、普通に
でも

これが子供の頃食べてた味なんだろうけど、もっと美味しかったような気がしないでもない。

原材料を見ちゃったからかなぁ。


ちなみに私は食べ切れたけど、ジャンボヨーグルは食べ切れない人も絶対出てくる。

なんか、多分これヨーグルを口に運ぶ手を止めたらだめだ。

胃から拒否反応が出る。
流石、油脂:砂糖=1:1。

これは素早く食べるべき。


やっぱりさ、こういうのは

ちっちゃい頃に少ないお小遣いを握り締め、
放課後、駄菓子屋へと走り、

駄菓子屋のおばちゃんに「いらっしゃい、よく来たねぇ。」って言われてさ、

今日はどれにしようかなって駄菓子の前で悩んで
色とりどりのモロッコヨーグルの前で悩んで

こいつに決めたっ!

って買ってこそ美味しいものだと思うのですよ。

あの美味しさは子供時代でしか味わえないものだったか。

と、いうか
ずっと気になってたけど
ロッコヨーグルの
ロッコだけに線が引かれるのは
何故。
ロッコを強調する意味は
何処に。
ロッコ
ロッコ
ロッコ



ロッコー!!!





と、言うことで
「新年なので家にあって誰も手をつけないモノを食べてみた『キャラメルト』『ジャンボヨーグル』」
でした!

第2弾も多分書くのでお楽しみに〜。


ではまた( ̄^ ̄)ゞ

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私がキノコを嫌いな理由をあげようって言うどうでもいい記事


 キノコ(茸、菌、蕈、Mushroom)とは、特定の菌類(Fungi)のうちで、比較的大型の(しばしば突起した)子実体(Fruiting body)あるいは、担子器果そのものをいう俗称である[1]。植物とは明確に異なる。ここでいう「大型」に明確な基準はないが、肉眼で確認できる程度の大きさのものをキノコという場合が多い。食用、精神作用用にもされるが毒性を持つ種もある。

    Wikipedia内『キノコ』より引用。

 

私はキノコが嫌いである。

 

だがしかし、この記事は決してキノコ好きを否定しているわけではなく、あくまで、私の中のキノコについての考え方を論じているものであることを理解していただきたい。

 

この後の文章で、キノコ好きの方々には理解し難い内容、見解があるかもしれない。キノコ好きの方々を怒りへと誘ってしまうかもしれない。

それを了承出来る方のみスクロールして頂きたく思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、始まりに載せたWikipediaの引用である。これを載せるにあたっては、キノコとインターネットで検索する必要があった。これがどんなに勇気のいる行為だったのか、 

「キノコ食べれるよ〜」

という人には分かっていだだけるはずも無い。

 

もし、間違って「画像」を押しでもしたら、私は30分は立ち直れない。(実際に押してしまった。結果立ち直るのに35分を要した。)

 

Wikipediaを開いたのはいいものの、Wikipediaにも画像があった。コレは盲点。嫌いなものが写っているスマホ画面を触ることは脳が拒否しているのではないかという位に難しい。

 

 

私にも普通の子同様キノコを美味しく頂いていた時期があった。

何故、こんなにもキノコが嫌いになってしまったのか。

 

 

それは、5歳の誕生日。

私はそれまで、えのき、しめじ、しいたけ、まいたけ、沢山のキノコを食べていたと母は言う。そして、その誕生日からぱったりと食べなくなったのだ、と。

 

今でも鮮明に思い出すことが出来る。5歳の私は母が料理をしているのが見たくて、キッチンへと足を運んだ。私はまだ身長が低く、母がまな板で食べ物を切っているのを下から見上げるような形になっていた。

 

 

その時切られていたのが、しいたけだった。

しいたけは為す術もなく、母に切られていた。

 

そして見えたのがキノコのひだ。

 

 

幼い私は、それまで調理済みのキノコ、しかも私の口に合わせて小さくカットされたキノコしか目にすることがなかった。

 

 

そんな私にとって、それは裏切りであった。

 

 

今まで何の疑いもなく口に運んできたキノコ。そいつらの正体がこんな姿だったとは。

 

 

無限とも思えるほどのひだ。ひだ。ひだ。

 

 

あのひだを見てトラウマにならない方がおかしいと声を大にして私は言いたい。この記事を読んでいるキノコ好きがいたら、「キノコ ひだ」で検索することをおすすめする。無論、私はしたことは無い。

 

何はともあれ、私がキノコを嫌いになった初めての理由はフォルムにあった。

しかしながら不思議なことに、1度嫌いになるとその対象物の全てが嫌いになってしまう。

 

今、キノコの嫌いな所を挙げろと言われたら、それはフォルムだけではない。強いて1個挙げるなら

存在

である。

 

存在そのものが私にとっては罪。形、食感、色、匂い、肌触り、そして、生息環境に至るまで私はキノコを嫌っている。

 

よくテレビで「嫌いな〇〇克服レシピ!!!」的なものをやっているのを見かけるが、あれは拷問である。いいではないか。食べられないものの1つや2つがあったとしても。粉々にしたらわからないだろうと安易な考えで、嫌いなものをハンバーグやら何やらに混入させるのはやめていただきたい。わかるものは分かる。もし、わからない人がいたならばそれは、その人が心の底からは対象物を嫌っていなかった証拠であると私は思う。

 

 

だが、悔しいことにキノコは様々な場面で広く使われている。ダシもでるでる。日本食の命とも言えるダシはキノコと切っても切れない関係性なのだ。

 

どうしてこんな厄介なシロモノを嫌いになってしまったのか。悔やんでも悔やみきれない。

 

 

キノコ。それは色からしてキノコである。

 

外食をしていて期せずしてキノコが混入していた時、無言でかつスピーディーにキノコを寄せるのであるが、食べた後のキノコの汚さと言ったら、言葉では表せないものがある。

 

逆のひいき目で見ているとはいえ、人参やピーマン、グリーンピースなどが残っている皿の可愛らしさと比べたら、誰にでもその汚さは分かるはずだ。

 

 

食べれもしない、残しても汚いキノコ。

それを私にどうしろというのか。

 

むしろ、私なんかの皿に間違って入れられてしまったキノコに同情心すら芽生える。

 

いや、やはり芽生えない。

 

ともかく私の見解ではキノコは人類、いや、全生物が口に運ぶべきものでは無い。あいつを食べ物と認めるわけにはいかない。

 

もしもボックスでキノコを食べなければ生きていけないという世界に変わったとしたら、一番先に死ぬのは自分と同士だろう。

そんな世界に生まれなかっただけ、マシというものか。

 

 

ああ、キノコよ。お前はどうして存在するのか。

キノコが憎い。

 

さて、まだまだキノコに対して言いたいことは沢山あるのだが、2300文字を超えてしまったので、そろそろお開きとする。

この記事は私がキノコを嫌いな理由をサラっと説明したものであったが、同意してくれる人がいたら、こんなに嬉しいとこはない。

そして私は明日もキノコ嫌いを背負って生きていくのである。

 

 

ではまた( ̄^ ̄)ゞ